大判例

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仙台高等裁判所 平成5年(ネ)139号 判決

北海道江別市弥生町三五番地三

控訴人

有限会社健広社

右代表者取締役

稲垣卓三

右訴訟代理人弁護士

香高茂

岩手県一関市赤荻字雲南一九二番地

被控訴人

株式会社精茶百年本舗

右代表者代表取締役

清水恒輝

右訴訟代理人弁護士

上村正二

石葉泰久

石川秀樹

田中愼一郎

主文

本件控訴を棄却する.

控訴費用は控訴人の負担とする.

事実

控訴人は、「原判決を次のとおり変更する.被控訴人の請求をいずれも棄却する.訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は、主文同旨の判決を求めた.

当事者双方の主張は、次のほかは原判決の「事案の概要」に記載のとおりであり、証拠関係は記録中の証拠関係目録記載のとおりであるから、これらを引用する.

(控訴人)

一1  原判決は、「百年茶」の部分が本件商標(一)の中央部に大きく記載されているというそれだけの理由で、同商標の外観上から、「百年茶」の部分が要部であるとしているが、同商標は、「百年茶」の右側に〈1〉「平泉藤原文化の遺産」が、左側に〈3〉「高麗人参茶配合」が、下部に〈4〉「精茶百年本舗謹製」がそれぞれ記載されており、これらが一体となって、同商標の自他識別機能を構成している.特に、「平泉藤原文化の遺産」の文字部分は、同商標の由来を示す重要な機能をもっている.「平泉藤原文化の遺産」としての「百年茶」ということを示しており、一〇〇〇年余り前に栄えた平泉藤原文化の伝統に支えられた由緒正しい伝統ある茶というイメージを購入者に与えており、同商標について、「百年茶」の部分のみを要部とするのは誤りで、少なくとも「平泉藤原文化の遺産」が要部をなしていると考えるべきである.

2  原判決は、控訴人標章を「人生」と「百年茶」とに分けて、「百年茶」の部分を要部としているが、「人生百年茶」という五文字で構成されている控訴人標章を右のように分割して要部を限定することは不自然であり、「百年茶」の部分を要部とした原判決は事実認定を誤った.

3  原判決は、控訴人標章の要部を「百年茶」とする理由として、「百年」という文字が「一つの区切りないしは長い年月というものを観念させ、これを見聞する者に対して相当強い印象を与えるから、「人生」よりも強い識別力を有する」と判示しているが、右判断からすれば要部は「百年茶」ではなく「百年」となるはずである.ところが、原判決は、要部は「百年茶」であって「百年」ではないとしている。「百年」が要部でない以上、それに「茶」という普通名詞が付け加わったからといって、もともと要部でないものが要部に転化するはずがない.

4  「百年」の識別力が他の部分よりも強いならば、本件商標(二)「精茶百年」においても「百年」が要部となるはずであるが、原判決は、本件商標(二)においては「百年」は要部ではないと判示した.これは、「精茶百年」においては、四文字であり、一連のものとして呼称され、観念されることから、「精茶」と「百年」に分離することが不自然であることを前提としている.

また、原判決が、本件商標(二)において「百年」を要部とすることができないとした理由は、「精茶百年」という文字標章は、「これを飲用することで長寿を保てる」との観念を発生させ、それは「百年」という文字によるものであるとの被控訴人の主張に対し、「百年」という文字が、「一つの区切りないしは単位となる長い年月というものを観念させる」が、それ以上のものではないから、本件商標(二)の要部は「百年」ではないというものである。そうだとすれば、控訴人標章においても、「百年茶」の部分だけでは「これを飲めば長寿を保てる」という観念は発生せず、「人生百年茶」となってはじめて右観念を生むことになるから、原判決が本件商標(二)について示した判断方法を控訴人標章にもちいれば、「百年茶」の部分は控訴人標章の要部ではないことになる.

5  右のように、原判決の要部についての判断方法は、本件商標(一)、本件商標(二)及び控訴人標章との間で不統一である.原判決は、要部の定義や判定方法を明確にすることなしに、曖昧なイメージだけで判断した誤りがある.しかも、原判決は、学説上あるいは判例上、一義的な定義を持つ概念でもない「要部」という概念を安易に使用した点で違法である.

二  原判決は、控訴人標章を、原判決別紙標章目録(一)ないし(四)と認定しているが、控訴人の標章は、商標公報商標出願公告平三-二二一一二に記載しているとおり「人生百年茶」である.同標章目録(一)(二)は、控訴人商標として使用されていない.

三1  原判決は、商標の類似性の判断方法について、呼称、外観、観念のいずれか一つが同一または類似すれば、同一性ないし類似性が肯定されるとの見解を前提として、本件商標(一)の要部である「百年茶」の部分と控訴人標章の要部である「百年茶」の部分が呼称上同一であるから、両者は類似すると判断している.しかし最高裁判所判例(平成四年九月二二日判決、判例時報一四三七号一三九頁、昭和四三年二月二七日判決、民集二二巻二号三九九頁)によれば、「呼称、外観、観念」の三要素は、「商標の誤認混同のおそれ」を根拠づける間接事実にすぎず、「商標の呼称、外観、観念等によって取引者に与える印象、記憶、連想等を総合して全体的に考察すべきである」とされており、「呼称、外観、観念」の三要素の同一ないし類似が商標の同一ないし類似に直結するとはされていないから、原判決は、類似性についての判断方法を誤った.

2  原判決は、「百年茶」という部分のみを取り出して、いわゆる要部観察をすることにより、その呼称、外観、観念の同一性のみを検討して控訴人標章の類似性を判断しているが、最高裁判所判例にいう全体的観察がなされていない.全体的観察においては、本件商標(一)の〈1〉「平泉藤原文化の遺産」、〈2〉「百年茶」、〈3〉「高麗人参茶配合」、〈4〉「精茶百年本舗謹製」の四者の文字部分の全体と、被告標章「人生百年茶」とを対比して観察すべきである.この全体的観察においては、明らかに呼称、外観、観念のいずれの面でも相違し、しかも、取引状況も相違しており、到底誤認混同のおそれは存在しないのに、原判決は、これを全く検討することなしに類似性を肯定したもので、この点でも違法である.

3  原判決は、単に本件商標一と控訴人標章との「百年茶」の部分について呼称が同一であることを理由に両者が類似していると判断した.誤認混同のおそれが存在するか否かについては問題としていない.しかし、本件商標(一)と控訴人標章とは、外観、観念、呼称のいずれにおいても類似していないし、取引上も別個の流通経路をとっており、実際に本件商標(一)を付した製品と控訴人標章を付した製品が競合する店舗においても誤認混同のおそれはないと証言されており、そもそも誤認混同のおそれは全く存在しない。誤認混同のおそれの有無につき判断を欠落したまま、商標の類似を判断した原判決は法律解釈を誤った違法がある.

4  本件商標(一)と控訴人標章は、呼称、外観、観念のいずれにおいても相違している.ことに外観においては著しく異なり、呼称が一部重なるというだけで商品の誤認混同を起こすことはありえない.むしろ、伝統と落ち着きを強調する被控訴人の商品を見慣れた取引者からみれば、控訴人の商品にはこれらが欠落しているので、一目で別個の会社の別個の商品であることが認識できるはずである.原判決は、「百年茶」の部分のみの外観の相違を検討しているが、全体的に観察して外観の相違を検討しなければならないはずである.「百年茶」の部分のみに限っても、原判決別紙商標公報(商標出願公告昭五七-六〇〇五一)と標章目録(三)を比較すれば、外観が著しく相違していることは明らかである.

四  本件商標(一)の指定商品は、「高麗人参入り茶」とされているのに対し、控訴人標章の指定商品は「茶」である。本件商標(一)では、単なる茶ではなく、高麗人参入りという点が大きな特色となっている.そして、原判決も指摘するとおり本件商標(一)の構成部分でもある.そうすると、本件商標(一)においては、指定商品が「高麗人参入り茶」であってはじめて価値を有し、単なる「茶」では価値がない.つまり、「高麗人参入り茶」は重要な自他識別機能を有するから、これを控訴人標章の茶と同一視することはできない.購入者としては、本件商標(一)の商品が「高麗人参入り茶」であるから購入するのであって、茶の一種だから購入するわけではないはずである.したがって、本件商標(一)と控訴人標章とは指定商品が異なる.原判決は、この点について言及していないが、原審で指摘しているところであり、判断を誤ったといえる。

五  控訴人及び被控訴人の商品の取引状況について、被控訴人の商品は、デパート、スーパー、文房具店というような店頭販売が主流と考えられるのに対し、控訴人の商品は、右のような店頭販売はほとんどなく、各製品毎に販売ルートを定めて流通させている.控訴人の商品と被控訴人の商品が競合して販売されたのは、札幌市の西武五番館デパートの健康食品売場のみである.そして、その売場で商品仕入れを行っている業者の営業所長及び担当員の供述によれば、双方の商品に誤認混同を生ずるおそれは全くない.

六  本件商標(一)と控訴人標章とは、呼称の点で一部重なる部分があるとはいえ、呼称、外観、観念において明確に相違し、かつ、取引状況についても販売系列が異なり、しかも実際に両商品を陳列販売した担当者自身が誤認混同のおそれを全面的に否定するという諸事情を考えると、需要者が、本件商標(一)を付した商品と控訴人標章を付した商品とを取り違えて商品の出所を見誤るおそれは全くといってよいほど認められず、結局、誤認混同のおそれがない以上、控訴人標章が本件商標(一)に類似するとはいえない.

理由

当裁判所も、被控訴人の請求は、原判決が認容した限度で理由があり、その余は理由がないものと判断するが、その理由は次のほかは原判決の「当裁判所の判断」に記載のとおりであるから、これを引用する(ただし、原判決六枚目表七行目「また、」から同表一一行目「いがたいが、」までを除く.)。

一  甲第一四号証及び第一五号証の各一ないし四、第一六ないし第二〇号証、第二六ないし第二八号証の各一、二、第三九号証の一、二、第四二、第四三号証、第四五ないし第四九号証、乙第一ないし第九号証、第七七号証の一ないし八、第七八号証の一ないし五、控訴人代表者尋問の結果(原審及び当審)、被控訴人代表者尋問の結果(原審)によれば、控訴人商品は、ハトムギ、ハブ茶、霊芝、ウーロン茶、高麗人参その他数種類の植物を配合して作成され、健康の維持、増進を目的とする茶であり、控訴人の販売系列を通じて一般の消費者に販売されるものであること、被控訴人商品は、クコの実、葉、ハトムギ、クマザサ、サルノコシカケ、ハブ茶その他十数種類の植物を原料として作成され、健康の維持、増進を目的とする茶であり、全国のデパートや見本市、販売講習会、岩手県物産展等を通じて一般の消費者に販売されており、札幌の西武五番館デパートの健康食品売場において、控訴人及び被控訴人の商品が競合して販売されたことがあったことが認められ、右によれば、控訴人商品と被控訴人商品は、その品質、用途、需要者層においてほぼ同一であり、控訴人商品と本件各商標の指定商品に同一または類似の商標を付した場合、商品の出所について誤認混同を生ずるおそれがあることは明らかである.

二  控訴人は、原判決標章目録(一)(二)については控訴人標章として使用していない旨主張するが、この点については、原判決二枚目裏八行目から三枚目表一行目までに説示するとおりであり、控訴人の右主張は採用しない.

三  控訴人は、原判決は、本件商標(一)及び控訴人標章についての「要部」の認定を誤り、ひいては呼称の類似性の判断を誤った旨主張するところ、この点については、原判決四枚目表六行目から五枚目裏七行目までに説示するとおりであり、控訴人の右主張は採用しない.

四  控訴人は、本件商標(一)と控訴人標章は外観において相違する旨主張するところ、乙第一ないし第九号証によれば、控訴人標章は、書道家のやや崩れた字体で書かれたものであることが認められるが、これを本件商標(一)の「百年茶」の部分と隔離的観察によって観察した場合、それらが商品の識別標識として著しく相違するとまではいえないというべきである.

五  控訴人は、本件商標(一)と控訴人標章は観念において相違する旨主張するところ、商標類否の判断については、当該指定商品の一般需要者により、右商品が購入される場合において普通に払われる注意力を基準として、決せられるべきものであるが、右観点からすれば、本件商標(一)と控訴人標章はいずれも健康の維持及び増進、長寿という観念を生じさせるものというべきであるから、控訴人の右主張は、採用しない.

六  以上によれば、本件商標(一)と控訴人標章は類似しているというべきであり、控訴人が被控訴人の本件商標(一)についての商標権を侵害していると判断した原判決は相当であって、本件控訴は理由がない.

よって、主文のとおり判決する.

(裁判長裁判官 石川良雄 裁判官 山口忍 裁判官 荒井純哉)

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